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大西洋横断を目指す國米 創、シングルハンド・オフショアレースに初参戦

 2025年9月にスタートする1人乗り大西洋横断ヨットレース「ミニトランザット2025」。大会は来年の秋に開催されますが、すでに選手たちはレース経験を積み、出場資格(規定マイルを走る)を得るためにMINI6.50による外洋レースに出場しています。DMG MORI セーリングアカデミーの國米 創(こくまい・はじめ、29歳)選手から、自身初となるシングルハンド(1人乗り)オフショアレースに出場した参戦レポートが届きました。いろいろトラブルもあったようですが、無事完走を果たしました。レポートから緊張感が伝わってきますね。(BHM編集部)

初めてのシングルハンド・オフショアレースに出場した國米選手。写真は左がスタート前で、右がフィニッシュ後。使用前、使用後という感じでしょうか。強風のなかでトラブルもあり、相当な疲労が蓄積されているのがわかります

 DMG MORI セーリングアカデミーのスキッパー國米 創です。今回私はフランス・ポルニシェで開催された「ポルニシェ・セレクト」というMINI6.50のレースに出場しました。(レポート・写真提供/國米 創)

 このレースでは95艇のミニが参加して、そのうち68艇がシリーズ艇(ガラスファイバーのワンデザイン)、27艇がプロト艇(カーボン使用可のボックスルール)で、私はプロト艇で参加しました。

 このレースはもともと300マイルのコースでしたが、気象が不安定という理由でスタート前日にコースが大幅に変更されました。ミニではレース中に携帯やネットにつながる物の使用が禁止されているため、事前にGPSにマークをプロットしたり天気予報を紙媒体で持たなければならないので、今まで準備してきたものがほとんど白紙になったのは大きなショックでした。

フランスで開催された「ポルニシェ・セレクト」は当初300マイルのコースが予定されていましたが、天候不安定により230マイルに変更されました。MINI6.50のレースは、携帯電話使用禁止、エンジンの搭載禁止、マップの表示されるGPS機器の搭載禁止など旧時代的な規則があります

◎強風スタートで始まった95艇のシングルハンドレース

 5月4日スタート当日は、朝8時からのウェザーブリーフィングで始まりました。全てフランス語なのですべてを理解できませんが、近くにいた選手に通訳してもらいなんとか理解できました。これは、ミニフリートの特徴のひとつで、レースでも皆んな家族のような感じでとても親切です。ブリーフィングが終わった後、携帯電話をレース委員会に預けて出艇の準備をはじめました。

 このレースは、ミニにとって今年最初のシングルハンドレースです。多くの選手にとって最初のレースなのでさん橋には緊張感がありました。そんな状況でしたが、その緊張を選手同士で励ましあってお互いの緊張をほぐしていました。

 スタート時間は13時で、風は16〜20ノット吹いていました。ポルニシェ湾を出る前にアップウインドマークとリーチングマークがセットされて、軽いインショアレースをしてからダウンウインドで湾をでるというコースです。

 私はスタート前に1ポイントリーフ(縮帆)をしようとしましたが、ブームピンが外れるまさかのトラブルにあいました。船内の工具を取り出して、なんとか対処しましたが、みんなより2分ほど遅れてスタートしました。インショアレースだと致命的な時間ですが、オフショアだとこの先のレースが長いため2分は小さな誤差です。

 風速計では20ノットと表示されていましたが、湾を出るとガストに重さを感じるようになりました。トラブルで止まっている船がまわりにいるなか、私もミニで初めて大きくブローチングをしました。

 ブローチングを立て直した後もトラブルが続き、使用していたスピンMAXが解消できないほどねじれてしまいました。つらい状況でしたが優先順位を考え、気持ちを切り替えてスピン・ミディアムを上げ直しました。

 先頭艇とは離され、後続艇に追いつかれてしまい、レース早々自分の失敗を憎みました。それでもまだ先は長い、チャンスはあるという気持ちを自分に言い聞かせました。スタート後2時間でトラブルが続いたため、この時改めて誰も助けてくれない、自分ひとりで対処しないといけないと強く感じました。

國米選手はスタート前にブームエンドのピンがはずれたため、大きく遅れてスタート。この後も数々のトラブルに見舞われます。DMG MORI セーリングアカデミーからは、國米とアレクサンドル・デゥマンジュ(25歳)が出場しました

◎重なるトラブル。暗闇の中でミスを悔やみ、ひとり叫ぶ

 最初のマークを回ったあとは風も落ちてアップウインドが続き、ユー島付近についた時には真っ暗になっていました。通過しなければならないブイもあるので真っ暗のなか、他艇に注意してリーチング準備をしなければいけません。

 風も20ノット吹いていたので見落としがないように注意していましたが、ここでもミスをしてしまいました。ジェネカーのファーリングラインを海に流してダガーボードに引っ掛けてしまい、スピンを巻くことができなくなりました。

 ユー島の後はアップウインドのため、どうにかして降ろさなければならず、みんなと少しコースを外してジェネカーを巻かないで降ろしました。この時も自分のミスと確認不足を恨んで思わずひとりで真っ暗のなか叫びました。

 40分ほど格闘して無事ジェネカーも回収してスペシャルマークにむけてアップウインドを走り始めました。風も10ノットまで落ちて安定してきたので寝るタイミングだと思い、とりあえずタイマーを30分にセットしました。

 いつなんにでも対処できるように外で仮眠をとろうとしましたが、まわりの船が近くにいることが気になることと、突風と汚い波を対応しないといけないため、なかなか連続して寝ることはできません。気がついたら少しずつ明るくなり朝になっていました。

 朝になってもスペシャルマークに向けてアップウインドが続きました。見えないマークに向かって何時間も走るのは正直不安でした。本当に向かっている方向は間違っていないのか? いま自分は何位でまわりの船はどこにいるんだ?(案外まわりに船は見えませんでした) という気持ちを持ちながらも、ひたすら走り続けました。

◎突然の無風。自分が最下位ではないかと不安になる

 やっとマークに到着したときは、午前11時20分頃でこの時には船をたくさん目視することができました。ダウンウインドで風も20ノットほど吹いていたので、ここからは早く、明るいうちにゴールできるだろうと考えて安心していたら、スイッチが切れたように突然風が2ノットまで落ちました。

 スタート前にこの風が来ることがわかっていたので、自分は風の変わり目にハマってしまったと思いました。自分のまわりに見える船は少しずつ進んでいて見えなくなってしまったので自分は最下位争いをしているのではないかと不安になりました。

 ついにAISに映る船も少なくなり、気持ちが落ち込みましたが、気持ちを切り替え、前に進まなければという気持ちに変わりました。

 この無風のタイミングも使って、昨晩失敗してそのまま降ろしたジェネカーを巻き直し、すぐに上げられるようにしました。この時、スタートしてからまともに食事をとってないことに気がつき、このタイミングでオレンジを4つ、おにぎりとプロテインバーを食べました。

 4時間ほど無風のなかで走っていると、怪しい雲が来ていることに気がつき、すぐにスピンダウンしました。水平線付近に見えていた濃い海面がものすごい勢いで近づき、風が5ノットから24ノットに上がり、風向も180度変化しました。ダウンウインドからアップウインドになり、すぐにメインをリーフしました。

 再びユー島に近づいたときにはまわりの船も見え、安心とラストスパートの気持ちでプッシュしました。ユー島超えたあとはリーチング一本で夜中の2時に無事ゴールしました。(記録:1日12時間6分55秒)

 夜の着艇では、運営スタッフがゴムボートでフル出動して1艇ずつ桟橋までえい航してくれました。この時、先にゴールした選手たちもみんな助けにきていました。風も強くて混乱をした状況でしたが、運営のみんなはボランティアなので、厳しい環境のなか24時間体制でレースを成立してくれたことに感謝の気持ちでいっぱいでした。

230マイルを走破した記録は1日12時間6分55秒(プロト15位/27艇、総合30位/95艇)。真夜中にも関わらず1艇、1艇サポートボートがえい航してハーバーへ誘導してくれました。

◎はじめてのオフショア・シングルハンドレースに出場して

 ポルミシェ・セレクトは、私にとって初めてのオフショア・シングルハンドレースでした。良い成績を残すレースをしたいという気持ちはありましたが、まわりの艇の動きを見てからセール選択をしたり、コース選びをしたところがあり、ちゃんとレースできていなかったと改めて感じました。

 あとでトラッキングを見直したときに自分がまわりの船が見えなくて不安だった場所も案外皆んな止まっていて、無駄な心配をしていたんだなと思いました。

 このレースを通して、自分の性格の知らない部分や弱い部分がよくわかりました。オフショアレースはたくさんの意味を込めて言い訳が通用しない世界です。オフショアレースに出た人、みんなが同じ気持ちだからこそ、レースでもお互い助け合う大切さがあると感じました。

 過去に白石さんに言われた言葉がある。「人の目はごまかせても海は見逃してくれない。」この言葉の意味が改めてわかった気がしました。

 次のレースは5月20日の500マイルのコースです。それまでにしっかり船の準備をして再び挑みます。

今回のレースにはもう一人日本人選手が参加していました。中山寛樹選手(写真左、41歳)は2019年ヒマラヤ未踏峰登頂(ネパールHongu Sura peak 6,764m)などの登山記録、クライミングの経験があるセーラーで、2025年のミニトランザットに向けてシリーズ艇で活動を開始しました
同じくDMG MORI セーリングアカデミーのアレクサンドル・デゥマンジュは、1日4時間41分8秒でフィニッシュ。プロト5位/27艇(総合5位/95艇)でした
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