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大西洋横断ミニトランザットに挑戦するフェデリコってだれだ?

 みなさん、三瓶笙暉古というセーラーをご存知でしょうか? むずかしい漢字ですが「サンペイ・フェデリコ」と読みます。セーリング歴は短いながらも彼の経歴を知るときっと興味が湧いてくるに違いありません。フェデリコ選手は19歳のとき経験ゼロでセーリングの世界に飛び込み、バミューダで開催された2017年ユースアメリカズカップに出場、プロセーラーが集まるGC32レーシングツアーでヨーロッパを転戦しました。その後、DMG MORI セーリングチームに加入して白石康次郎選手をサポート。そして、いま大西洋横断レースに挑戦しようとしている25歳のセーラーです。(BHM編集部)

三瓶笙暉古。1996年7月18日横浜生まれ。小学3年から中3までフィリピンで育つ。子供の頃にやっていたスポーツはサッカー、水泳、バスケットボール、ラグビー、トライアスロン、自転車など。中学2年の時に自転車で横浜から京都まで走破。法政大学第二高校入学時に帰国し、ラグビー部で活躍するするも両肩のケガで競技を断念。高校卒業後は北海道で酪農業に就くが、アメリカズカップに挑戦するソフトバンク・チームジャパンのクルー募集を知ってセーリングの世界へ

◎ソフトバンク・チームジャパンからオフショアヨットレースの世界へ

編集長:セーリングと無縁だったということはアメリカズカップの存在も知らなかったと思います。どうしてアメリカズカップのクルー募集に応募したんですか?

フェデリコ:父が新聞に掲載されていた告知広告を見て教えてくれたんです。募集条件は「英語が話せる」「身長180センチ、体重90キロ以上」「セーリング経験問わず」。ぼくにピッタリでした(笑)。

編集長:ほんとうにピッタリだ(笑)。でも、セーリングのことを何も知らないんですよね。このスポーツのどんなところに魅力を感じたんでしょう?

フェデリコ:子どもの頃からずっとスポーツをしてきました。でも、高校時代ラグビーで両肩をケガしてあきらめることになって、気持ちが沈んでいた時期でもあり、そんなときに耳に入ってきたニュースだったんです。セーリングだからというより、自分自身のモチベーションをあげる何かが欲しかったんだと思います。

編集長:はじめてセーリングしたときを覚えていますか?

フェデリコ:アメリカズカップ・クルー選考の時にGC32(フォイリング・カタマラン)に乗りました。いま思えばそうそうたるセーラーが操船してくれていて、ディーン・バーカー、クリス・ドレイパー(両選手ともソフトバンク・チームジャパン)と一緒に乗ったのを覚えています。

編集長:はじめ乗ったヨットにしてはすごい話です(笑)。ソフトバンク・チームジャパンに合格しなかったけれど、それからユースアメリカズカップに誘われ、GC32の〈マンマユート〉チームにも乗り始めましたよね?

フェデリコ:ユースアメリカズカップは、半年間バミューダで練習、準備をして、仕上がりも良かったのですが、予選敗退してしまい本当に残念でした。同時期に、ありがたいことにマンマユートチームのGC32レーシングツアーにバウマンで参加させてもらいました。これも貴重な体験です。

編集長:初心者がいきなり世界のグランプリレースに入ってしまった感じですね。セーリングの動きや船の仕組みはどこで学んだんですか?

フェデリコ:日本ではクルーザーに誘われて乗るようになったり、セールロフト(ワン・セイルス・ジャパン)でアルバイトをしてセールやセーリングのことを勉強しました。当時はセーリングもヨットレースも楽しくて、あまり深く考えず船に乗っていました。

2015年12月、19歳の時にリビエラ逗子マリーナでおこなわれたソフトバンク・チームジャパンのクルー選考に応募。セーリング経験がないながらも恵まれた体格を武器にセーリングの世界へ足を踏み入れることになりました。写真は当時のもの
2017年バミューダで開催されたユースアメリカズカップ日本チーム〈海神〉メンバー。東京五輪49er代表の高橋レオ、小泉維吹、フィン級で五輪を目指し現在DMG MORI セーリングチームに所属する國米 創、SailGP日本チームの森嶋ティモシーらが在籍していました

◎2023年9月スタートする外洋レース、ミニトランザットで大西洋横断に挑戦する

編集長:外洋ヨットレースに興味を持つようになったのはいつですか?

フェデリコ:2017年にユースアメリカズカップが終わった頃、2016年のヴァンデ・グローブに出場した〈スピリット・オブ・ユーコー 〉が日本にやってきていて、お手伝いする機会に恵まれました。そこで、白石康次郎さんと単独無補給無寄港の世界一周ヨットレースがあると知って「これはすごい、かっこいい!」と思ったのが始まりです。

編集長:それから外洋の世界に入っていくわけですね。白石さんの手伝いをしながら2018年のDMG MORI セーリングチーム発足でチームに加入。そして、ミニトランザット(大西洋横断)に向けて活動がはじまりました。

フェデリコ:2019年(22歳の時)からフランスを拠点にしています。これまで、ずっと白石さんと一緒に作業していて、見れば見るほど自分との差を実感するというか、とんでもなく距離が離れているのを感じます。ヨットのことだけじゃなくて全ての行動や考え方を含めてです。ぼくは、ひよっ子どころか卵にすらなってないと感じてます。

編集長:大西洋横断ミニトランザットに挑戦したいという気持ちはどこから?

フェデリコ:そもそもフランスに居ながらミニトランザットを知らなかったんです。鈴木晶友さんが2019年に挑戦したのをきっかけに知って、調べるうちにミニトランザットのようなレースを経験してステップアップしていくんだということを知りました。当時はひそかにやってみたいと思う程度でしたが。

編集長:ヴァンデ・グローブ2020-21が終わった後、DMG MORI セーリングチームは「DMG MORI セーリングアカデミー」を発表しました。これはミニトランザットを目標にミニ6.50で経験を積み、外洋セーリングで活躍できるセーラーを育成するというプロジェクトです。

フェデリコ:はい。DMG MORI セーリングチームには3本の柱があって、白石さんのヴァンデ・グローブ、若手セーラー/エンジニアの育成、日本のセーリング文化の発展に貢献する、というものです。いまDMG MORI セーリングアカデミーには4名いて、ぼくとロール・ギャレーのふたりがスキッパー研修生として活動しています。

多くを語らず黙々と作業をこなすタイプの三瓶笙暉古選手ですが、昨年のヴァンデ・グローブのフィニッシュ時にはモヒカンヘアで白石康次郎さんを出迎えました。華やかなグランプリレースの経歴ですが、外洋の経験は釧路〜アラスカ、小笠原航海が最長。スキッパー経験はほとんどありません。2023年秋の大西洋横断本番までに多くのセーリング経験を積んでいくことが課題です
DMG MORI セーリングアカデミーの候補生4名。左からアレクサンドル・デゥマンジュ、ロール・ギャレー、三瓶笙暉古、國米 創。2艇のミニ6.50を建造し2チーム体制でミニトランザットへ挑戦します

編集長:新艇IMOCAやミニ6.50を作り上げる作業にも関わってきましたが、プロトタイプのミニ6.50はチームでゼロからつくる作業でした。どんなことがむずかしかったですか?

フェデリコ:ミニ6.50はモールド作りから始まったので、知らないことばかりでした。まずは「積層」(ここでは主にカーボンの技術)を学べということで、一緒に働いている仲間に教えてもらいました。大変というよりこうした作業が好きなので面白かったです。みんなでいっしょに作業することでチームメンバーと仲良くなれました。

編集長:船ができあがって大急ぎで今年4月のプラスチモ・ロリアン・ミニ(100マイル。ダブルハンドレース)に出場しました。どんな感想でしたか?

フェデリコ:進水まで大急ぎだったので初セーリングがレースになりました(笑)。怖いというわけではなく久しぶりのセーリングだったのでたのしかったという印象が強いです。でもシングルハンドのレースは経験していないので、これからもっと経験を積んでいかなければ、という段階です。

編集長:セーリングを知った19歳から現在の25歳まで、普通のセーラーではできない流れで進んでいるように見えます。DMG MORI セーリングチームの環境は、ほかのミニセーラーと比べて恵まれている状況にも見えます。いまの自分をどのように見ていますか?

フェデリコ:環境はもちろんですが、タイミングや人に恵まれていると思います。とりあえずやってみよう、でここまで来てしまってた。あまり深く考えない性格なのか、そういう部分はあらためないといけません。(オフショア・シングルハンドレースに)不安はありますが、自分の目標、チームの目標を達成できるように成長していきたいと思います。

編集長:応援してます。がんばってください!

※2022年4月18日フランス・ロリアンにて取材

三瓶笙暉古選手は、6月2日にフランス・ドゥアルヌネで開催されるミニ6.50によるシングルハンドレース「MAP」に出場します。自身初の一人乗り外洋レースとなります。写真は2018年MAPを取材撮影した時のもので、さん橋にはずらりとミニが並びます
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