ドナルド・クローハーストの死(3)
世界ではじめて開催された単独無寄港世界一周レースで起きた悲劇です。5000ポンドの賞金を目的に出場した9選手のうち6選手がリタイア。主人公クローハーストのフィニッシュを目前に控えて事件が起こりました。いや、事件が起きたと言うよりも事実が明らかになったのです。記事は今回で最終回となります。パート(1)、パート(2)からお読みください。(BHM編集部)
クローハーストが制作したトライマランは、いまもカリブの島で朽ちた状態で残っています
大西洋上で無人の船だけが発見される
モアテシエのレース棄権で、優勝はクローハーストとロビン・ノックス・ジョンストン、ナイジェル・テトレイに絞られました。しかし、クローハーストの報告があまりにも順調すぎるので、一部の見識者からは疑問の声もあがりだしました。そして、1月になるとクローハーストからの連絡が突然途絶えてしまいます。
「彼はどこかでリタイアしているのでは?」という噂が流れるなかで、再び連絡があったのは4月に入ってから。それは、彼の到着が近いことを知らせる連絡でした。
ファルマスの港では彼を迎える準備がすすめられました。彼を応援する市民で町は大賑わいです。家族や応援する人たちは、彼の到着を待ち望んでいたことでしょう。しかし、クローハーストがファルマスへ帰ることはなかったのです。
船は、彼の姿がないまま7月に大西洋上で発見されました。彼が書き残した航海日誌には、陸上へ伝わった情報とはまったく別の事実が記されていました。船が不完全であったこと、航海は失敗の連続だったこと、デイラン243マイルは虚偽の申告だったこと、嘘の航海記録を発表しつづけたこと…。また、3月には修理のためにアルゼンチンへ寄港していたことも分かりました。
検証によれば、クローハーストの航海はほとんど進んでいなかったことがわかりました。スタートし、大西洋を南下している途中でトラブルに遭い、世界一周が無理だと悟った彼は、その周辺で数ヶ月間、漂っていたのです。虚偽の連絡で世界一周をしたことにして、フィニッシュ地へ戻る計画だったのでしょう。
彼は洋上で綿密な世界一周の計画を立てました。しかし、その計画にはミスがありました。彼の(嘘の)世界一周が、あまりにも早すぎたのです。そして、テトレイの遭難事故で彼がリタイアしたのを知り(5月21日)、ジョンストンの日数を大幅に更新する記録で優勝することも確実となりました。
クローハーストの航海日誌の後半には、精神的に異常をきたす様子が記されています。日記の最後の日付は7月1日。それ以降に自殺したと考えられています。しかし、遺体はいまも発見されていません。
無理な航海計画と追い詰められたクローハースト
振り返ると出港前から彼の航海計画は無理の連続でした。建造の遅れと借金(建造に掛かった12000ポンド)、準備不足、伴わない経験。しかし、大勢の観衆が彼の航海を後押ししました。虚偽の報告は重圧からくるものだったろうし、「リタイアする」という手段を選べないほど精神的に追い込まれていたと考えられます。
後日談として、優勝したロビン・ノックス・ジョンストンは、優勝賞金(5000ポンド、現在のお金で約4000万円とも言われています)をクローハーストの未亡人、子どもへ寄付しました。
こうして、世界ではじめて開催された単独無寄港世界一周レース、ゴールデン・グローブレースは大失敗に終わり、世界一周レースは1982年のBOCチャレンジ(のちのアラウンド・アローン、5オーシャンズ)、1989年グローブチャレンジ(のちのヴェンディグローブ)まで、姿を消すことになります。
クローハーストの事件は、2006年に制作されたドキュメンタリー映画「ディープウォーター」で詳しく検証されています。映画は1968年、69年当時の様子、航海中の映像、家族のコメントなどを含めて興味深い記録映像となっています。
このドキュメンタリー映画を見て、クローハーストの到着を信じて待っていた家族の姿が忘れられません。クローハーストの妻は、いまも彼がどこかで生きていることを信じています。
参考:Deep Water、世界ヨット百科、Sunday Times Golden Globe Race、Donald Crowhurst
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