勘違いが生んだ白熱のタックバトル。ファイアーボール全日本選手権
11月22、23日、江の島で「ファイアーボール級全日本選手権」が全7艇の参加で開催された。昨年North Sail社製のセールを導入し、初めて全日本選手権を制した石橋/鶴本に対して、加藤/原、石井/伊藤、中野/安藤が、石橋/鶴本の2連覇にストップをかけるかが注目された。(レポート・写真提供/日本ファイアーボール協会)

初日は、出艇時の風向50度。普段この海面ではあまり安定することのない角度から入る北風に、選手たちも波乱を予想しつつ出艇します。風速は4〜6mですが、ブローとラルの差が激しいクルー泣かせのコンディションです。
第1レース、やや風下有利のスタートラインに対して、最も風下側からスタートしたのは、2023年まで6連覇を成し遂げた石井/伊藤。ディフェンディングチャンピオンの石橋/鶴本が続きます。
やや苦しいスタートとなった加藤/原は、右海面で有利な振れをつかんで、第1上マークをトップ回航。得意のリーチングレグで差を広げていきます。ところが、最終レグであるランニングレグで石井/伊藤が粘りを見せ、加藤/原を振り切ってトップフィニッシュを決めました。
第2レースも石橋/鶴本、加藤/原、石井/伊藤の3艇を中心に抜きつ抜かれつの展開となります。最終的には、トップを走る石橋/鶴本を、最終のランニングレグで抜いた石井/伊藤がトップでフィニッシュします。一瞬の振れの間に上側からブランケットに入れ、相手のスピードを落とさせると同時に、最後の下マークでインに入るポジショニングを取るコース取りは鮮やかでした。
この日の石井/伊藤の「追い上げる力」は群を抜いており、クローズのボートスピードはほとんど差がないにも関わらず、右左に振れる海面で、場所によって強弱の激しい風の中で力を見せつけました。第3レースにおいて追いすがる石橋/鶴本に対して、僅差を守り切りトップでフィニッシュ。この日の全レースをトップで飾ります。
連覇を目指す石橋/鶴本も手堅い走りを見せます。続く、加藤/原。全日本初日は、この3艇を中心に展開する1日でした。
1日目を終えての順位は下記になります。
石井/伊藤が 1-1-1位合計 3点
石橋/鶴本が 3-2-2位合計 7点
加藤/原が 2-3-3位合計 8点
全6レース、4レース以上のレース実施の場合は、最も悪い1レースをカットする、という規定の中で、石橋/鶴本、加藤/原が優勝の可能性があるとすれば、翌日の全レースで石井/伊藤のトップを阻み、石井/伊藤以上の順位でフィニッシュすることが求められる厳しい展開となります。
ただし、前日の段階では、2日目の風の予想は微風。レース実施時間帯に北から南東への大きな変化も予想され、難しい展開の中でチャンスをつかめるか、そして守り切れるのか、コース選択にプレッシャーがかかる1日になりそうです。
◎初日オール1位の石井/伊藤が痛恨のスピントラブル
ところが、ふたを開けてみれば、早朝から10m近い風がハーバーで選手たちを迎えます。前日の疲れが残る選手からは、「吹かねぇんじゃなかったのかよ…」という声もポツポツ漏れる中で、2日目が幕を開けます。この日も最大6〜10mと強弱は激しく、振れを伴う場合もある、難しいコンディション。上マーク〜下マーク間1200mの長いレグが待っています。
実は、レース海面に1番乗りした石井/伊藤は、海面到着時にこっそり沈をして、ボートトラブルに見舞われました。これが本レガッタを左右する大きな布石となります。
第4レース、第1上マークは加藤/原、石橋/鶴本、石井/伊藤の順に回航していきます。ところが、石井/伊藤がまさかの沈! スピネカーをホイストした状態のアンヒール沈のため、復帰にかなりの時間を要してしまいました。第4レースは加藤/原が守り切りトップフィニッシュ。石井/伊藤はまさかのリタイアとなりました。
第5レースは、やや風が落ちた中でスタート。第1上マークでは中村/佐藤、古川/西原も安定したボートスピードを見せ、上位3艇に絡む展開です。ここで、第1上マークを3位で回った石井/伊藤でしたが、2回の沈でダメージを負ったスピン周りに再度トラブル、順位を大きく後退してしまいました。
その隙をついて、3位以下を大きく引き離して、加藤/原、石橋/鶴本が熾烈なトップ争いを展開します。最終的にはこのレガッタを通して安定したフリーレグのボートスピードを活かし、加藤/原が再びトップフィニッシュ。優勝を一気に手繰り寄せます。
この時点での順位は下記。
加藤/原が2-(3)-3-1-1位合計 7点
石橋/鶴本が (3)-2-2-2-2位合計 8点
石井/伊藤が 1-1-1-(8)-6-3位合計 12点
優勝条件としては、石橋/鶴本が最終レース1位かつ、加藤/原が3位以下という状況です。比較的シンプルな展開ではあるのですが、なぜか加藤/原、石橋/鶴本はタイブレークの計算を間違えて、お互いに「トップであれば優勝できる、トップでなければ優勝できない」と思い込んで最終レースに臨みます。何年も優勝争いを経験しているセーラーが、このようなシンプルな得点計算を間違えることは理解に苦しむのですが…。ただ、この勘違いが近年のファイアーボール級でも最も熾烈な1レースを生み出します。
最終レースも風下有利な設定でスタートシグナルが鳴ります。風下のエンドから加藤/原がスタート。すぐ上側から石橋/鶴本がスタートします。石橋/鶴本はこの時間帯で東寄りにシフトすることを予想し、「加藤/原よりも右側を常に取りつつ、大きく離れず展開」という戦術を取ります。
第1上マークは加藤/原がわずかにリードして回航、2位に石橋/鶴本が回航しました。クルーワークで上回る石橋/鶴本。スピンセールのホイストで一気に肉薄しますが、加藤/原も気合のラフィングで順位を守ります。
上サイドレグの中間ほどの位置、後ろから入った十分なブローに乗って、石橋/鶴本が一気に上側から加藤/原を抜きます。しかし、サイドマーク回航時の差はわずか。スタンまで1mの位置で回航した加藤/原は、サイドジャイブで風上側を取りに大きくラフィング。ここでスピンシートにトラブルを抱えていた石橋/鶴本は得意のジャイブワークで痛恨のミス。再び加藤/原がトップに立ちます。
サイド下レグのリーチングはややタイトなコンディション。得意のフリーレグであり、スピンシートにトラブルを抱えた石橋/鶴本に差をつけつつ、下マークを回航。回航後すぐにタックして、やや左海面にコースをとり、ルーズカバーできる位置にボートを運びます。
◎加藤/原、石橋/鶴本の勘違いが生んだ壮絶なタックマッチ
下マークを回航した石橋/鶴本は決意します。「タックを繰り返して原さんのミスを誘おう。それしかない」。右振れのゲインを狙ってボートを加藤/原の右側に置きつつ、明確な“殺意”を持ってタックマッチを仕掛けます。
本来であれば、加藤/原はこの時点で仮に石橋/鶴本に負けて2位であっても優勝できます。石橋/鶴本の殺意などどこ吹く風、最悪、前に行かせたってかまいません。しかし、得点計算で勘違いしている加藤/原。石橋/鶴本は相手を左側に行かせようと、クルー原のタック完了と同時にタックしてきました。
疲労も色濃く「そのまま行きましょう(戦術的には正しい)」と提案するクルー原に対して「付き合わないでどうするんだ!(戦術的には必要ない)」とヘルムスマン加藤は必死に鼓舞したそうです。
1200mで設定された長い上りレグの間に、計12〜3回のタックを仕掛けられた加藤/原は、必死のタックでついていきます(ただし、戦術的には必要ありません)。
そんな中で、大きな東寄りのシフトが海面全体を覆います。このシフトで大きなゲインを得た石橋/鶴本は、ついに、加藤/原に追いつきます。スターボードタックで加藤/原の前を切りに行きますが、わずかに足らない。レイラインまではもうすぐ、ここは勝負時。石橋/鶴本は会心のリーバウタックでポートに返します。
不利な位置に追い込まれた加藤/原ですが、ここで抜群のボートコントロール! スピードロスを最小限に抑えつつ、上側ブランケットから抜け出し、レイラインで石橋/鶴本よりも先にタック。順位を守ります。(見事ですが、彼らは2位でも優勝です)。
…と思ったその時、、執拗なタックマッチを仕掛けられ疲労がピークに達したクルー原、まさかの落水。ジブシートを手繰り寄せて、必死によじ登ります。ヘルムスマン加藤もクルー原のライフジャケットを持って、必死の形相で引き揚げました。
とはいえ、さすがに1位は守り切れず、石橋/鶴本が第2上マークをトップで回航。加藤/原もすぐにスピンセールをホイストし、後から来るブローをつかんで、一気に石橋/鶴本の上側から抜きにかかります。
石橋/鶴本もバランスを崩しながらも必死でラフィング。タッキングマッチからランニングレグでのラフィングマッチ。クルーの疲労はピークです(繰り返しますが、加藤/原は2位を守れば優勝です)。
風の振れもあって加藤/原のブランケットを避けた位置ではありますが、石橋/鶴本は下マーク回航をインサイドで回れる位置を加藤/原に奪われます。
下マーク回航後、フィニッシュラインまでのフィニッシュレグはタイトリーチの設定ですが、最後の最後までスピンセールを張り続けたい石橋/鶴本はスピネーカーをダウンせず、下マークをジャイブしながら回航。
それを見て加藤/原もすぐ後ろをダウンせずに回航。オーバーヒールで張り替えに手間取る石橋/鶴本の風上側を奪うべく、猛烈なラフィングを見せます。しかし、さすがに一歩及ばず、石橋/鶴本がトップでフィニッシュ! 石橋/鶴本は大喜びで声を上げます(彼らは優勝していません)。
スピンを張り替え切らずにラフィングした加藤/原。スピンセールをダウンしながらゆったりと2位フィニッシュ。すぐ後ろには3位で石井/伊藤が迫っていました(ここで加藤/原が抜かれていたら、石橋/鶴本が優勝でした)。
すっかり優勝した気になっている石橋/鶴本、笑顔でバウを江の島ヨットハーバーに向けますが、ハーバーに着いた時には、彼らから笑顔はすっかり消え去っていました。優勝は加藤/原。2位に石橋/鶴本で全日本選手権は幕を閉じました。クルーの原さんは疲労困憊ながらも、今大会でチャンピオン経験者のリストに新たに名前を載せました。
レース後の打ち上げでは、やはり、この2艇の「勘違い」が話題に。レース運営を兼務している鶴本選手は「15年以上、ファイアーボールのレースで順位表を作成し続けているのになぜ勘違いしたのか…」と不思議がり、優勝した加藤選手は、勝者の余裕か「久々に熱いレースができた!」と満足気。前年度準優勝の石井/伊藤は、悔やみきれないボートトラブルで大きく順位を落としましたが、ボートスピードは健在。来年にリベンジを誓いました。
勘違いが生み出した白熱の全日本選手権は、この2艇以外にとっても最高の酒の肴になったレースでした。
