35.7ノット記録達成!本栖湖スピードチャレンジレポート
初めてモスに乗った日を境に、私の人生は大きく変わった。水の抵抗から解き放たれた音のない世界。自分が風になったような感覚に魅了され、寝ても覚めてもフォイリングのことばかり考えるようになってしまった。(レポート・写真提供/後藤浩紀 SAILFAST)
2008年、モスを始めたばかりの頃は20ノットを越えると恐怖を感じた。少しずつ慣れはしたものの、当時乗っていたブレードライダーでは24ノットあたりでフォイルが震えだし、それ以上プッシュできないジレンマもあった。
それが2010年にMach2に乗り換えた途端、いとも簡単に25ノットを越えた。艇体やフォイルの剛性に問題はない。あとは強い気持ちでプッシュできるかどうかだった。26ノット、27ノット、28ノットと徐々に記録は伸びていったが、1ノット刻む毎に別次元の恐怖と戦わなければならなかった。特に30ノットの壁は高く険しく、長い間その頂きを越える夢は叶わなかった。
時間をかけて少しずつフォイルやセールが進化し、あとはコンディションさえ整えば30ノットの壁を越えられる。そう思っていた2013年頃に通ったのが本栖湖だった。鏡のような平水面に富士山から吹き下ろしの強風が吹く、スピードチャレンジに最適な湖面なのだ。
本栖湖で念願の30ノットを越え、2015年のメルボルンワールドでは32.6ノットを記録。だが喜びよりもシュラウドに突っ込んだ太ももの痛みと恐怖の方が大きかった。また2017年のガルダワールドでは同じく32ノットから海面に叩きつけられ、水圧だけで肋骨にヒビが入った。もうこんなバカなことは止めようと悟りを得るには充分な理由だった。
しかし、2020年に現在のビーカーに乗り換えたとき、視界が再び大きく開けた。30ノットを簡単に越え、どこまでもプッシュできそうな安心感がある。フォイルは小さくなり、セールは浅くなり、ハルの空気抵抗も大きく改善した。2023年4月には清水で33.5ノットを記録。これは本栖湖に行けば35ノットも夢じゃないのでは?
そして9月5日、満を持して10年ぶりに本栖湖へ向かった。ウインドサーファーたちの話では、これからどんどん風が上がるらしい。期待に胸を膨らませ湖面へ出たのだが、いま一つ風が上がりきらず、何度かいいガストで攻めても32ノット程度しか出ない。35ノットは夢で終わるのか・・・そう諦めかけた時にこの日一番のガストが目に入った。
最高速を出すためには助走スピードが重要だ。充分に加速してからベアしないとアパレントが後ろに回ってしまいノーズダイブしてしまう。リーチングで30ノット近くまで加速してから一気にベアした。そこから数秒はまったく未知の領域だった。あまりに速過ぎて視界が極端に狭まる。ほんの少し安定してからGPSをちらっと見ると35の数字が見えた。ついに壁を越えた!
はやる気持ちを抑えながらフネを止め、最高速を確認すると35.7ノット。これは国内最速のみならず、世界最速記録かも知れない。いやきっとそうだろう。さっきのスピードを体験した人類が他にいるとは思えない。それほど桁違いの体感速度だった。
残念ながら公式記録を管理する団体は無いのだが、トップセーラーが使うSAILMONの記録では3位にランクインした。1位と2位は名無しで記録データも残っていない。つまり公式では1位である。苦節15年、ついに一つの頂点に達した。
世界中のセーラーがこの記録に刺激を受けて、さらなる高みにチャレンジするだろう。35ノットもあくまで通過点に過ぎない。この記録も遠からず誰かに破られてしまう日がくる。それでもいまこの瞬間、世界最速と呼べる記録を出したのは紛れもない事実だ。日本人でも世界のエリートセーラーたちと伍するスピードで走れる。どうか日本の若いセーラーたちにも自信を持ってほしい。
たとえ山奥の湖でも、たった一人でも世界と戦えるのがスピードチャレンジの魅力だ。必要なのは強い風と強い気持ちだけ。これからも挑戦を続け、いつの日か40ノットの壁を越えてみたい。