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【五輪】いま岡田奎樹が考えるセーリングに向き合う熱量とは?

 2021年夏に開催された東京五輪。オリンピックが終わった今、日本代表選手はどんなことを考え、何をしているのでしょうか。10月初旬、浜名湖で開催されたモス級全日本選手権に出場した、470級日本代表の岡田奎樹選手(トヨタ自動車東日本)にバルクヘッドマガジン編集長が話を聞きました。(BHM編集部)
※インタビューはモス全日本選手権の期間中におこなわれました。

岡田奎樹が外薗潤平とともに初めて出場したオリンピックの結果は総合7位。日本選手としては、2004年アテネ五輪で銅メダルを獲得した関 一人/轟 賢二郎に次ぐ記録ですが、メダルを狙える実力があっただけに満足とはいえない結果でした

◎オリンピック終わった後、どんなことをしていましたか?

 しっかり休んだのは終わって一週間ぐらいです。その次の週からモスに乗り出しました。モスは去年の全日本以来乗っていなかったので久々です。維吹(小泉維吹。東京五輪49er代表。早稲田大)と一緒に浜名湖で全日本の事前合宿をしていました。

◎OPに始まって、レーザー、ダブルハンド艇に乗ってきましたが、フォイル艇にはどんな印象を持っていますか? 乗る上でこれまで経験してきたことと違う部分などありますか?

 速い船に乗るのはとても楽しいです。この一週間、毎日乗っていて、確率50%でタックできるようになりました(笑。編注:日本でフォイリングタックできる人は数名しかいません)。これまでのヨットと違う部分は……基本的な考え方は一緒ですね。ただ、470と違って明日乗れるかわからないので、1回の集中力が違います。(セッティングを)変えたいと思ったら、一度着岸して修正してもう一度出る、を繰り返しています。

◎470に乗るのとは勝手が違っている?

 470はオリンピックキャンペーンをしているので、セーリング環境が整っています。例えば「今日できなかったことは明日やろう」ができるけれど、モスは明日乗れるかわかりません。自分のなかでモス全日本までを一区切りにしているので、1回あたりの練習量をぐっと詰めてやっています。乗ることに対する熱量が違います。

10月モス全日本選手権に出場した岡田。大会前、小泉維吹と一緒に約1500円/1日の宿に素泊まりして強化合宿に取り組みました。フォイリング漬けの毎日を過ごし、技術力は一気に上昇。全日本2位を獲得しました

◎岡田選手にとってモスはどんな位置づけですか?

 モスに乗るのは完全にプライベートです。あくまでも楽しむためのセーリング。子供の頃、OPに乗っていたときと一緒で、一生懸命やるのはもちろんですけど、基本的に「楽しい」が一番です。今回モスに乗って気付かされたことがあります。470も最初はモスと同じように楽しく乗っていた、ということです。

◎楽しく乗っていたとは具体的にどのようなことでしょう?

 ぼくは、子供の頃から「勝ちたい」という純粋な気持ちで、たくさん練習してきました。高校(唐津西)に行って、練習はきつかったけれど楽しかった。高校の時はオリンピックという夢に向かって、まだ人にいえるレベルではないけれど心のなかで思っていました。それから、もっと成長したいと考えて、小松さん(小松一憲コーチ)のいる早稲田大へ進みました。純粋に成長したい、強くなりたい、という気持ちが「ヨットが楽しい」という要因だったと思います。

◎岡田選手は、大学を卒業してすぐに東京五輪を目標に活動をはじめましたね。気持ちのなかで変化はありましたか?

 卒業するまでは、学業がメインでヨットはサブという位置づけでした。練習時間が短かったので、すごい熱を込めないとできなかった。五輪活動を始めて、フルタイムで練習できるようになると時間の配分がこれまでと違ってきました。いま思うとこれはむずかしいことで、目標に向かって楽しくやる、一生懸命やるためには計画が大切になります。ぼくは大学を卒業したばかりで全然できていなかったし、この部分を人任せにしてしまっていたと思います。

江の島、富士山を背景におこなわれた東京五輪470級男子メダルレース。「スキルで負けていたとは思いません。ブレない信念が必要でした」と話します

◎オリンピックで勝つため、目標に向かうためには「楽しい」の部分がないとだめなのでしょうか?

 ぼくの場合は、そうですね。目標を叶えるためには、その1つ1つ(の具体的な課題)をクリアしていくときに感じる、楽しさや喜びみたいなものがあって、それを繰り返してステップアップして行って、その先にメダルがあるのだろうと思っています。

◎東京五輪まではどんな目標設定だったのでしょうか?

 日本代表になるまでは、はっきりした目標がありました。ライバルの日本チームに勝って代表になるということ。それが叶って、いざ五輪となった時に、いま振り返ると目標設定がブレていたように思います。ぼくは金メダルを取る、取りたいと発言していました。でも、外薗さん(470クルーの外薗潤平選手)はその部分を口にすることはありませんでした。最終的な目標にブレがあったのかもしれません。

◎オリンピックのレースでも影響がでていた?

 ぼくたちのチームがスキルで負けていたとは思いません。ダウンウインドは速かったし、アップウインドで苦戦したけれど修正できた。ただスタートなどで、もっともっとプッシュできる場面がありました。そこには、ブレない強い信念が必要なんだと思います。

◎代表に決まってからオリンピックまでの期間は、主に470に乗り込むというトレーニングでした。いま振り返るとどうでしょう?

 結論から言えば、470に乗り過ぎた、と思っています。日本の場合、なぜか分からないけれど、その種目にしか乗らないのがスタンダードです。海外選手は、いろんな船に乗って強い。練習時間に制約があるからこそ、練習の熱量があがる、ということは確実にあると思います。これはモスに乗って感じていることで、いま7日間連続で乗っていますから(笑)。1日3、4時間を集中して乗る方が熱量はあがります。長くても短くてもよくない。5日に2日ぐらいのペースがいいのかもしれません。自分にわざと制限を設けたほうが、1日の集中力が上がると考えています。集中できるなら1日8時間乗ってもいいぐらい。

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◎オリンピックで金メダルを取ることは、いまでも岡田選手の夢ですか?

  オリンピックでメダルを取ることはぼくの夢でした。でも、いまそれは夢じゃなくて、現実的に近づいてきているもので、具体的な目標に変わっています。夢はまた別のものになってきていて、いまぼくは、いろんなことを学んで、挑戦しているところなんだと思います。

◎いまの岡田選手が考えている夢やセーリングの到着点のような場所はどんな所なのでしょうか?

 ぼくがOPに乗っていた時、いちばん輝いて見えたのは、世界選手権などに出場していた選手たちです。ぼくの時は、ジュニア時代の先輩の後藤沙季さん(別府Jr、別府青山高、関西大卒、2011年470ジュニアワールド3位)、濱本茉莉さん(別府Jr、別府青山高、早稲田大卒)や、ほかの人達が活躍していて「あの人、みたいになりたい」と思っていました。いまは、逆の立場で、若い世代から見て、“岡田奎樹”のようになりたいと思う人がいてほしいし、そう思われる選手になりたいと思っています。

◎いま岡田選手は、日本のジュニアや学生選手に大きな影響を与える選手のひとりだと思います。

 いまの若い世代が、ぼくの行動を見て、「あの人みたいになりたい、あのひとを越えたい」という輝きを持てるような選手になりたいですね。セーリングに対して、それを目指して、努力することが楽しいと思え、そこに価値あるものとして捉えてくれる人が増えればうれしいです。これは終わりのない夢かもしれません。でも、口で説明するのではなく、そんな人になるために行動して恥じないような人間になりたいし、セーリングで結果を残しながら活動の幅も広げていきたいと思っています。

岡田選手と小泉選手。モス級全日本選手権にて

◎岡田奎樹プロフィール
1995年12月2日生まれ。福岡県出身。170cm、64kg。B&G別府海洋クラブ、B&G福岡ジュニアヨットクラブ。2011年OP級世界選手権3位。唐津西高を経て早稲田大。2016年470ジュニア世界選手権優勝、2018年ワールドカップ江の島大会470優勝。東京五輪7位。トヨタ自動車東日本所属

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