関東インカレ予選を取材していて考えたこと
バルクヘッドマガジン編集部は、10月2、3日に葉山沖で開催された「第87回関東学生ヨット選手権」を取材しました。大会は関東インカレの予選で、成績上位校は10月9日からはじまる関東インカレ決勝へ進出します。(BHM編集部)
10月から全国の水域で学生ヨット選手権がはじまりました。勝ち上がった学校は11月に開催される全日本選手権へ出場します。予選で敗退した4年生は、水域大会が大学生活で最後の大会になります。
編集長は、関東インカレ予選を「最後の大会ってどんな気持ちだったろう」と昔の自分と重ね合わせながら観戦していました。いま4年生は、心にぽっかり穴が空いたような気持ちでいることでしょう。
バルクヘッドマガジン編集長も学連ヨット出身です。学生時代の記憶のほとんどは合宿生活のこと。最後の成績は関東インカレの決勝で敗退し、全日本選手権に出場することはできませんでした。
学生時代、ヨットのことは好きだったはずですが、何が好きなのかと具体的に聞かれると、いまでもよく分かっていません。ヨットや海は理解できないことばかりだし、海にいる人って変わった人が多いので、そういうところも魅力だったのかもしれません。
編集長はヨット部を卒業したあと、先輩に誘われてクルーザーに乗るようになりました。外洋ヨットの世界です。いま思えば、クルーの人数が足りなくて誘われた、というよくあるシチュエーションです。
それから毎週のように油壷へ通うようになり、鳥羽パールレースや大島レース、初島レース、神子元島レースほか相模湾のレースに手当り次第出場するようになりました。陸にいたら絶対できない“ちょっと特別なことをしている感じ”が楽しかったんだと思います。
就職先はヨット雑誌を出版する舵社でした。ヨット雑誌で働けば、セーリングできるし一石二鳥ではないか、と安易に考えたからです。入社して、最初の大きな企画記事は「ヨットでグアムへ行く」だったと思います。
その企画は実現して、和歌山から小笠原・父島を経由してグアムまで行く記事を作りました。10日間ぐらいの航海だったでしょうか。航海中、ブームパンチを喰らい骨折するトラブルもありましたが、いま思えば、よく上司が許してくれたなぁ、と思います。
それからも、いろいろ普通じゃできない体験をしてきたな、と思います。自分のことを話すのは苦手なのですが、人に言われるでもなく、おもしろい生き方をしていると思います。
いま思うと、編集長が、これほど長くセーリングを続けられているのは、ヨット部を引退した時、先輩に声をかけてもらいクルーザーの世界に飛び込んだからにほかなりません。バルクヘッドマガジンを読んでいる先輩セーラーのみなさん、ぜひ後輩たちを次のセーリングの世界へ誘ってあげてください。
そして、ヨット部を引退したみなさんは、不安かもしれませんが、あたらしい世界に飛び込んでみてください。チャンスはどこに転がっているのか分かりません。
何かおもしろそうだなと感じたら、深く考えずに近寄ってみる。こんなことで広がる世界もあります。編集長なんて、先輩に誘われたことがきっかけで、人生が変わってしまったのですから。
- フォトギャラリー・関東学生ヨット選手権予選https://junhirai.photoshelter.com/gallery/87/G0000JdNDm8eTZ5Q/