【コラム】バルクヘッドマガジンのリオ五輪取材が始まります
バルクヘッドマガジンが誕生したのは2004年の春になります。2004年はアテネ五輪が開催された年で、当時の編集長はモスクワ経由の格安チケットを購入して、クレデンシャル(五輪を取材する権利)もないままギリシアへ向かったのを覚えています。当時を振り返ると無茶していたのかなと思うし、知らないからできる、そういうエネルギーにあふれていたように思います。(BHM編集部)
編集長もリオに到着しました。写真はセーリング競技が開催されるマリナ・ダ・グロリアです。1年ぶりに来ましたが、建設が遅れていると報道されていたメイン建物が完成していました。南半球のリオの季節は冬ですが、日本の夏とそれほど変わりません。暑いぜ!photo by Junichi Hirai
あれから12年。再びオリンピックを取材するまで12年掛かりました。振り返ると長い道のりだったなぁと思います。アテネの時と違うのは、正式な取材撮影の権利が、バルクヘッドマガジンと編集長に与えられたことです。
この権利は、IOC(国際オリンピック委員会)から世界のフォトグラファー6人に与えられた国籍の関係ないセーリング専門のスペシャリストパスで、極東の小さなセーリングメディアのジャーナリスト活動が、世界で認められたことは本当に誇らしく思っています。
ただし、正直なことを言えば、オリンピックを取材撮影するのが編集長の夢だったのかというと、そうではありません。オリンピックを取材することに特別な気持ちを持っていますが、個人的には、何というか、もっと静かな熱のようなものを感じています。
バルクヘッドマガジンは、みなさんご存知のようにオリンピックにつながる道を取材活動の軸にしています。なぜオリンピックを目指す選手を取材するのかというと、彼らはひとつの「覚悟」を決めていて、それは人生の一部の時間を犠牲にしてしまうかもしれない大切なもので、その覚悟に編集長は共感するし、心から応援したいと思っています。
覚悟って、何をするにしてもとても大事なことのように思います。覚悟を決めた人間とつきあうには、こちらも覚悟を決めないと対等につきあえません。編集長も覚悟を決めて12年間、取材してきました。ここ数年は、身体を壊したり、ちょっとやりすぎたかなと思うこともありましたが。。。
そして、五輪を取材するもうひとつの理由は、日本の若いセーラー(ジュニア、高校生、大学生)にとって、五輪選手は目標であり、あこがれの存在であって欲しいと考えているからです。子どもたちが、あこがれる日本のセーラーがいてもいいでしょう?
そのためには、だれかが彼らの活動を伝えることが大切だし、そうした気持ちから現地に足を運んで、記事を発表してきました。おかげさまで、バルクヘッドマガジンを多くの読者が読んでくださり、広告スポンサーを得て取材活動費を捻出しています。
バルクヘッドマガジンのように自主運営のスタイルで継続しているセーリング専門メディアは、世界に存在していません。まずは、バルクヘッドマガジンを応援してくれている読者とスポンサー各社に感謝したいと思います。そして、いつものように戦闘態勢でリオ五輪を取材してきます。さあ、たのしみだ!
◎下記SNSでも現地からの情報を発信する予定です。
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