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豪遠征で感じた事、ユースに伝えたいこと

 1月オーストラリア・パースで開催された「ウォーレンジョーンズ・ユースレガッタ」に出場した市川航平、吉田工作の両選手から「オーストラリアで感じた事、そしてユースに伝えたいこと」をテーマにしたレポートが届きました。高校、大学生のみなさん、このレポートを読んでどんなことを感じるでしょうか? 自身のセーリングの良い刺激になったり、新しい扉を開くきっかけになってもらえたら、と思います。選手たちが作成した遠征ムービーと合わせて紹介します。(BHM編集部)

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パースで開催されたウォーレンジョーンズ・ユースレガッタ。世界から12チームが出場しました。photo by eventmedia

「夢で終わらせるのか、夢に挑戦するのか」

市川 航平
Facebook(https://www.facebook.com/kohei.ichikawa.5?fref=ts)

 海外のヨットレースに出て毎回思うことがあります。日本選手に足りないものは、若い時期の国際舞台の経験と、マルチなセーリング活動に対する指導者、セーリング組織の寛容さではないか、と感じています。
 
 まず、国際舞台の経験について。日本の10代〜20代でセーリングをしている選手の大半は、学校の部活です。そこではディンギーの活動がメインで、キールボートの活動はありません。

 この時期、日本の選手で海外の舞台を経験できるのは、常にトップレベルにいるごく一部の選手のみで、大抵の学生たちはディンギーのみ、国内のみで、そのセーリング人生を終えてしまいます。

 一方、海外の選手たちは同時期に何をしているかと言えば、
ディンギーでのフリートレースやチームレース、キールボート、マッチレース、フォイルボード、カイトサーフ、モス、実に様々なセーリングに触れています。

 これは決してごく一部の選手ではなく、男子も女子も、全てのユースセーラーは同じようにマルチにセーリングを楽しんでいます。

 そして、その中で自分にあった、才能を生かせる場を自分たちで見出して、世界を舞台に年間数十本というペースでツアーを組んで、世界を渡りながら戦っています。

 ヨットレースはディンギーだけの世界ではありません。もちろん、その過程にはヨットの基礎を学ぶという意味で、ディンギーが相応しい時期、経験しておくべきことはたくさんあると思います。

 しかし、セーリングの世界がそれだけとは思ってほしくない。まして、アメリカズカップやボルボオーシャン世界一周レースなど上の世界を目指している選手は、特に18歳〜22歳の時期に多くのセーリングに触れています。

 そして、何よりそういった世界を目指す若い選手たちの指導者、そして協会の委員の方々には、そうした世界での活動により一層の理解と支援をお願いしたいと思います。

 日本はセーリングにおいて世界の流れから非常に遅れた国です。そして近隣アジア圏からも遅れをとりつつあります。

 自分の子供や孫、次世代のセーリング文化のためには、今こそより広い視点、より長期的なビジョンでの支援、プログラムが必要なのではないでしょうか。

 若いセーラーたちに、さらなる刺激と熱意が芽生える場を提供するのが、そういった世界を知った僕らの役割だと思います。そして僕自身はまだ、セーラーとしてヨットを続けるのでは満足できない。世界の舞台で戦いの中に身を置く「レーサー」であり続けたい。

 そしてもっと大きな艇に乗りたい、もっと多くのスキルを身につけたい。マッチレースを通して世界を転戦し、色々な艇種に乗り、たった5人で35フィートオーバーの艇を意のままに操る。

 海外マッチで僕らが相手にしているのは、未来のオリンピックやアメリカスカップの舞台で活躍する選手達。そんな彼らと正々堂々、1対1でとことん戦い合えるのがマッチレースの世界です。

 夢がある世界だと思いませんか? 「夢で終わらせるのか、夢に挑戦するのか」。少し手を伸ばせば、世界は僕らの目の前に広がっています。


ウォーレンジョーンズに出場した日本チームが作成したレポート動画です

「燃え尽きるほどヨットを味わおう」

吉田 工作
Facebook (http://www.facebook.com/kosaku539)

 私はこのウォーレンジョーンズ・ユースレガッタという大会に過去2回出場し、今回で3回目の出場となりました。過去2度は、私が19歳、20歳の時。そして、今回のチャレンジを決断したのは、20歳のチャレンジが終わった時です。

「24歳のラストチャンスになった時、必ずクルー全員日本人でどれだけ成長したかを試してやる。それまでは土台作りだ」

 当時参戦した頃、私は約200名の同世代のヨット仲間にメールを送りアプローチをかけていました。しかし、上手くいきませんでした。

 私は、当時大学のヨット部に入部し、それを2日で退部し、自分でチームを作り、チャンスを掴み、世界に挑戦しました。「ゼロをイチにする」。この大変さを、誰より痛感しました。

 なんとか顔を覚えてもらうため、最初の1年は何度も関西から葉山に出向き、葉山マリーナでクルーを見つけ、無理矢理レースに出場して、ネットカフェでシャワーを浴びて夜行バスで日帰り。

 高校を卒業したての私は、キールボート界にほとんど知り合いがおらず、そうやって動く中で人脈を作ってきました。「同世代の仲間と同じ船でレースができたらどれだけ楽しいだろうか」そう理想を抱きながら、チーム作りに苦戦しました。そのような中で当時の私に舞い込んだのがウォーレンジョーンズという大会でした。

 当時はその大会の前にコリンマリンズ・ユースレガッタという予選大会があり、ここでトップ10に入らなければウォーレンジョーンズには参加できず、一応予定は空けて現地に向かうも、後半4日間のウォーレンジョーンズでは観覧艇で過ごすという苦しい時間でした。

 20歳の時のチャレンジでは渡航2日前にホームステイ先をキャンセルされ、宿がない状況で飛行機に乗ったことを覚えています。クルーも私を含め2、3名の日本人に現地のオーストラリアのクルーに乗ってもらうという方法でなんとか対処していました。しかし目的はひとつで、「セーリング先進国をこの目で見て、感じる」ということだけでした。

 そんな大会の中で私が学んだことが大きく2点ありました。それは、オーストラリアではセーリングとライフスタイルが密接な関係にあるということ。そしてもう1点は、セーラーが皆クラス分け隔てなく活動をしているということ、です。

 1点目ですが、例えばオーストラリアでは平日でも、夕方から家族を連れてサンセットクルージングを楽しんだり、レースがない日は学校の仲間とビールを片手にヨットでパーティをしたり、ヨットを通じた遊び方をよく知っています。2点目ですが、これは市川もコメントしている通りです。

 私が学生を中心とした若い世代のセーラーに伝えたいことは、「ディンギーには乗るな」、「大学の部活を辞めなさい」と言いたいのでは全くありません。ただ「死角」になっている分野がある、ということを知った上で現在の活動をしてほしいということなのです。

 私はその「死角」をセーリング界にチラつかせる存在で居たいという思いで活動をしています。極端かもしれませんが、自分の活躍やメディアへの露出はそのためにやっているようなものです。

 多くの学生と会話をする中で「燃え尽きた」という表現をよく耳にします。何に燃え尽きたのでしょうか? ヨットに燃え尽きたのでしょうか? だとすればその学生は燃え尽きるほどヨットを味わったのでしょうか。

 少なくとも私自身はまだ「ヨット」を何も理解できていません。まだ知りたいヨットの技術、そしてヨットを通じた世界のライフスタイルや文化を学び続けたいという欲求があります。そして学んだことを自分の中にとどめるのではなく、積極的に発信したいと思っています。

 そのために、今後も私自身がさらに成長できるようチャンスを掴み続けたいと思っています。なにか少しでも、若い世代のセーラーに感じることがあれば幸いです。同志が増えることを願っています。

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