強風のパース・インターナショナル14世界選手権参戦記
年末年始、「2020インターナショナル14世界選手権」が、西オーストラリアのパースで開催されました。日本からは2チームが自艇を持ち込み、2013年のトロント大会の3艇以来のコンテナを仕立てての参加です。(レポート/藤井義久、写真提供/有川修策、藤井義久、石田知史、Lindsayさん)
パースで開催されたインターナショナル14世界選手権。中位グループは混戦です
私はパースには思い入れがあります。33年前、パースのお隣のフリーマントルでアメリカズカップが開催された時、パースでオーストラリアン14のナショナルに合わせ、インターナショナル14のメンバーを加えての特別な大会が行われました。
1987年に日本で初めてインターナショナル14の世界選手権が行われ、この大会にオーストラリアとニュージーランドをチームレースに招待しようという企画があったこともあり、日本からも2チームが参加したのです。
その後オーストラリアン14とインターナショナル14とはルールが統一され1999年に統一世界選手権がメルボルンで行われました。クラス統一には日本の活動もちょっとだけは貢献したのだろうと思います。
私は、1991〜92年と1997〜98年の2回のパースで行われたオーストラリアンナショナルに参加し、その間にもクラブレースに飛び入りで参加するなど今回でパースでのレース参戦が4回目となります。
強風予想のパース・ワールド。予備ジブを10%リカットして対策
毎回フリーマントルドクターの名で有名な強風で苦労しており、いつもマストを1.5フィート短くして、思い切ったストームリグで何とか走っていましたが、現在の自艇にはそこまでのファーリングシステムは無く、今回の目標は7レース中半分以上の完走です。
日本からは私たちのチームの他に昨年の全日本選手権優勝チームの宇都・石田組が参加しました。彼らはここ10年ほど世界選手権をほぼ皆勤賞で参加して、日本の存在感を維持してくれています。
今回は、今では最大フリートとなっているドイツの参加はありませんでしたが、それでも6か国66艇が集まりました。日本チームは、2艇4名の選手に加え2日に古垣さん、3日に有川さんがサポートで合流してくれました。
私は、石田君と共に31日の夜到着。大みそかの夜はパース・ディンギーセーリングクラブ(以後PDSC)で年越しパーティーが行われており、なだれ込んで顔なじみの皆さんと共に再会を喜び、パース中心街からあがる新年の花火を楽しみました。
元旦はクラブも閉まっていて計測に備えて準備を行い、近所で空いている店を見つけて食料を調達。風の週間予報を見るとほぼ毎日予想通りの強風です。午後はクラブに戻って、地元のセーラー経由で予備のジブをリカットして10%小さくする手配をしました。
翌日の1月2日にはジブのリカットも仕上がって計測も無事パス。プラクティスレースは強風のため日本チームは出艇見合わせ。40艇ほど出艇しましたがフィニッシュできたのが5艇というサバイバルでした。
この日の夜のウエルカムパーティーでは、アボリジニの踊りも披露されて、PDCAの趣向を凝らした演出に大きく盛り上がりました。
日本艇に故障相次ぐものの地元ホスピタリティーに感謝
1月3日の第1レースは強風でレースはキャンセル、翌4日に2レースが行われました。アメリカチームのコンテナの到着が遅れていたための配慮も有ったかもしれません。このあたりがオリンピッククラスにはない選手ファーストの良さだと思います。
4日は、スタート予定時間にはほぼ無風で、1時間ほどして急激に風速を増し15ノット平均の中スタート。終盤にはガストで20ノットを超えていたかもしれません。
藤井艇の第1レースはタイムリミット直後にフィニッシュしましたが、1日2レース行なわれる日はタイムリミットが短縮される代わりにその時点での順位で完走とみなされるというルールが適用され、完走が認定されました。
引き続き行われた第2レースはさらに風が上がり、急造チームの我々はハーバーに戻りました。一方、宇都艇は第1レース中盤のリーチングの際にラダーヘッドのパーツを壊してリタイヤし、クラブまで曳航されました。強風下で行われた第2レースは完走33艇(内5艇は認定完走)とサバイバルレースとなりました。
ラダーヘッドの部品を壊してしまった宇都艇ですが、クラブに帰港すると地元のメンバー、この艇が建造されたアメリカのメンバーなどそれぞれが最短の復旧方法を親身になって検討してくれ、即刻修理を手配してくれました。
なんと翌日朝には日曜日にもかかわらず不可能と思った修理が完了して、5日の第3レースに奇跡的に間に合いました。パースの皆さんのホスピタリティーに感服です!
1月5日の第3レースは、平均11ノットの比較的穏やかなコンディションでスタートしました。この風で日本チームの前半戦はフリートの2/3の辺りをキープしましたが、藤井艇は途中スピントラブルや沈で徐々に遅れて51位でフィニッシュ。
一方最終下マークを45位程度で回航した宇都艇は最後の上りでさらに数艇を抜いたのですが、スターボードタックで上っているときに、すでにレースを終えスピンを上げて帰港中のカナダ艇と衝突して沈。石田君が身をもって艇を守って負傷しましたが、痛みに耐え何とか49位でフィニッシュしました。
カナダ艇は帆走中にスプレッダーの破損に気付き、それに気を取られていて宇都艇が見えていませんでした。衝突の際にマストのトップが折れましたので、衝撃の大きさが想像されます。
アメリカのアンディー・ベーツが救済を申請してくれて審問となったのですが、時間内にプロテストしていなかったということで受理されませんでした。そこは正規の世界選手権なので仕方ありません。
この事故で負傷した石田選手は以降のレースへの出場は大事をとって自粛し、サポートに回ってくれました。石田君の負傷に対しても地元の皆さんの多大な援助があり大変感謝です。
1月6日の第4レースは、前日よりやや風が上がり12~16ノット。宇都さんの衝突相手のカナダ艇は、マスト修理のためこの日はDNC。このチームの2人とは元々日本チームも懇意にしていたこともあって、彼らのクルーが宇都選手と一緒にレースに参加しました。前半は良いところを走っていましたが、沈の際にトラピーズのトラブルを抱え大きく遅れてしまいました。藤井艇はじり貧の54位、宇都艇57位。
1月7日はリザーブデー。風が5日と同じぐらいだったのでせっかくならレースをしたかったところです。選手の4名は軽い観光で身体を休めました。インド洋に沈む夕日が綺麗でした。
1月8日、予報では第1レースと同じぐらいということで2艇とも出艇。宇都艇は地元のベテランクルーとの出場でした。藤井艇はクラブを出艇してしばらく走ったことろで、第1レースよりも風が強く手に負えなくなると判断して帰港しました。
宇都艇はスタートラインまでは行ったもののスタート前に沈して起こすのに時間を要し、やむなく帰港しました。この日はスタート前に帰港した艇やデスマストやバウポールを折ってリタイヤした艇等が半数を超えるサバイバルとなりました。完走は今回最も少ない32艇です。
今回のレースコースは全体的に水深が浅く完沈するとマストが刺さり、デスマストのリスクが高いのです。また、今回のレースで目立ったのがバウポールの折損で、前回の優勝チームも2レース連続リタイヤで連覇はなりませんでした。
体格よりも技術が重要となるインターナショナル14
この時点でダントツのトップに立っているのが、過去4回優勝でここ数年優勝から遠ざかっていた2大会ぶりの出場となるArchie Masseyです。安定感抜群で第5レースまで1位3回、2位2回我々が完走した中風域のレースは全部1位です。
第6レースで6位以内を取れば最終レースを残して優勝が決まります。彼は大学生の時、2003年に和歌山で開催されたワールドに初参加。古い中古艇を改造して出場して上位に食い込んでいたことが記憶に残っています。今回は長年乗っていた艇から最新モデルの艇に乗り換えて出場しました。
パースは強風で有名な場所です。Arechieは長身ですがクルーは日本人の平均より小さい体格で、強風下であっても体重ではなくテクニックが重要なんだと痛感させられます。今回全豪チャンピオンとなった艇のクルーも同様です。
最も完走艇が少なかった強風の第5レースで勝ったのが地元PDCA所属のBrad Devine / Ian Furlong組でした。多くの艇がリタイヤしてクラブに戻っている中、構内放送で彼らの勝利が告げられると歓声が上がりました。
1月9日は、レースができないのではないかと思われるような強風が前日から予想されており、風が上がる前の10時にスタート時間が前倒しされました。
当日は朝から強風が吹き荒れていましたが、9時半ごろに風が弱まり始めAPHが降下されレース実施を決定、11時ごろスタートとなりました。
スタート時点では12ノットの風。日本チームは最初から出艇しないと決めていたので弱まった風に悔しい思いをしていたのですが、レース後半になると前日の第5レースよりも風が強くなり、待機&レース見物の判断は正解だったと思います。
第1上マークを7位ぐらいで回ったArchieですが、徐々に順位を上げて5位でフィニッシュ。最終レースを待たずに見事に優勝を決めました。優勝を決めた後は、家族が見物している前を通り、見事なウイニングランを披露してくれました。
1月10日、第7レースは平均風速11ノット程度でしたが、強い時と弱い時の差が3倍ぐらいで、しかも大きく風がシフトする難しいコンディションでした。
優勝を決めたArchieでしたが、休むことなく出場し、2位で最終レースを終え有終の美を飾りました。レース途中上マーク回航の際にパーフェクトなバウ沈を決め、表彰式ではそのシーンが投影されて大喝采を浴びていました。
日本チームはいずれも前日までの強風にビビってしまいメインセールを30cmほど落としてリーフしての出場でした。宇都艇はシンガポールのFXの選手がクルーを務めてくれました。
藤井艇はスタートから風のシフトに対して裏目裏目に終始し、前半からビリ争い。宇都艇も初めての14に乗るクルーと苦労して徐々に遅れてしまいました。
藤井艇は何とか後ろに3艇を従えて最終上マークを回航しましたが、フリーレグで急激なブローを受けてバウ沈し、メインセールに大きな穴が! もう残り1周ですし、タイムリミットまで30分弱ありましたのでそのまま走り続けて56位で完走。半数以上のレースで完走する目標を達成しました!
クラブに戻った時は疲労困憊、帰港直前で沈のオマケつきでした。表彰式では敢闘賞?らしき賞を戴くことができました。頑張れば報われることもありますね♪
石田選手は怪我の影響で2レースしか完走できませんでしたが、それなりに楽しんだようで良かったです。パースでリベンジするなら4年後のナショナルです。
この日の夜は隣接する西オーストラリア大学のホールで表彰式&ディナーが行われ、2週間にわたる大会は終了しました。
大会を通じて日本チームは他の選手や地元のメンバーに支えられ、励まされながら大会期間を過ごすことができました。帰国する日も地元の方がパース観光を申し出てくれて、お言葉に甘えてパースの街を楽しみました。
最後は1987年に開催されたアメリカズカップのホストクラブとなったロイヤルパースヨットクラブでクラブレースの表彰式に飛び入りしたりと、パースのヨット文化を体験することができました。
元々、強風が当たり前の開催地で日本チームには厳しいコンディションではありましたが、たった2艇でも自艇を持ち込んで参加できて良かったと思います。
次回大会は2021年8月のドイツです。次回は日本からの参加艇が増えることを期待するばかりです。
2020インターナショナル14世界選手権成績 参加66艇
1. GBR Archie Massey / Harvey Hillary 9p
2. GBR Daniel Holman-Alex Knight 14p
3. GBR Neale Jones / Edward Fitzgerald 30p
59. 日本 Yoshihisa Fuji / Ryo Nishima 347p
64. 日本 Yasutaka Uto / Satoshi Ishida(JAPAN) 364p
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