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ソフトバンク・チームジャパン新クルー、吉田雄悟、笠谷勇希インタビュー

2017年、バミューダで開催されるアメリカズカップ。昨年5月に発表されたソフトバンク・チームジャパンの参戦は、鮮烈なニュースとなりました。早福和彦総監督が先陣を切り、その後、ディーン・バーカー(NZL)、クリス・ドレイパー(GBR)がチームに加入して3度のワールドシリーズに参戦。さらに日本人クルー選考がおこなわれるなどソフトバンク・チームジャパンの話題は尽きません。バルクヘッドマガジンは、クルー選考に合格した笠谷勇希、吉田雄悟両選手を単独インタビューしてきました。日本代表に選ばれた2人の、現在へ至る過程や心境などをお伝えします。(BHM編集部)

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吉田雄悟 32歳(写真左)
1983年11月11日、佐賀県唐津市出身。身長181cm、80kg。唐津西高、法政大(国際文化学部)卒業後、五輪キャンペーンを開始。2009年470級世界選手権3位。2012年ロンドン五輪470級18位、2014年ISAFワールド(470世界選手権)6位。趣味はモス、SUP、ロードバイク

笠谷勇希 26歳
1989年1月30日、大阪阪南市出身。身長181cm、85kg。和泉高校、一橋大(商学部。卒論は「ゲーム産業におけるCSR」)、社会人を経てソフトバンク・チームジャパンへ。一橋大でボート部に所属し、ダブルスカルでロンドン五輪、リオ五輪に挑戦。趣味は読書(経営書が多い)

◎アメリカズカップへ挑戦するいまの気持ち

BHM編集部:ふたりは日本人クルーに選ばれ、世界から注目される存在になりましたね。これから2人はソフトバンク・チームジャパンに合流するわけですが、バミューダが拠点になるんですか?

吉田:はい、バミューダに生活道具一式を運んで生活することになります。これからどんな活動をするのか…と聞かれるのが、実は一番困るんです。正直に言うとチームに合流してから分かることも多く、アメリカズカップの流れは、平井さん(BHM編集長)の方が知っていると思うので教えてくれませんか?

BHM編集部:そんなことはないけど(笑)。確かに今回のアメリカズカップは発表されていないことも多いので、どうなっていくのか分かりませんね。どんな生活パターンになるのかな? 奥さま(吉田愛選手。リオ五輪470代表)とは、どんな話をしていますか?

吉田:470で活動していた時は、練習も遠征もいっしょでしたが、今年の彼女はリオ五輪が中心になるので、しばらく離れ離れの生活になりそうです。時間ができた時に自分がリオに行くか、彼女の遠征の途中アメリカで会うか等そんなことを考えています。日本とブラジルを行き来するより近いので、うまく時間を作れたらいいですね。

BHM編集部:笠谷さんは、ボートからセーリングへ舞台を大きく変えることになります。いまは、どんな気持ちですか?

笠谷:アメリカズカップへ挑戦すること、セーリングの舞台で戦うことは、自分にとってあたらしいチャンス。クルー選考の直前までリオ五輪を目標にしていて、代表選考に敗れた後は、国体に向けて活動していました。セーリングの経験はありません。自分のなかでは、ボートと同じように熱くなれることだと考えています。

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11月後半にリビエラ逗子マリーナでおこなわれたクルー選考には17名が参加。激しい運動で嘔吐する参加者がでるほどの厳しいテストが3日間おこなわれました。写真は笠谷選手。photo by Junichi Hirai

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英語でおこなわれたクルー選考の面接。バーカー、ドレイパー、早福選手と対面しておこなわれました。photo by Junichi Hirai

◎一橋大ボート部でインカレで活躍、その後オリンピックに挑戦

BHM編集部:笠谷さんは、一橋大ボート部で活躍されていましたが、どんな生活をしていたんですか?

笠谷:一橋大ボート部は、戸田(埼玉県戸田公園)にある合宿所で年間約340日活動しています。朝5時に起床して5時半からトレーニング開始。8時まで練習して学校に行きます。いま一橋大のボート部員は約100名います。

BHM編集部:それだけ部員のいる合宿生活は大変、というか壮絶な毎日だったでしょう?

笠谷:はい。毎日死ぬほどハードに練習していました(笑)。ボート競技は種目が多いので下級生でも大会に出場するチャンスはありますが、花形種目のエイトは8人の漕手と1人の舵手だけ乗るので選手は限られてきます。

BHM編集部:ボート部の厳しいトレーニングを続けられた理由は?

笠谷:ボート部に入った時、「いつでもやめていい」という先輩の言葉で楽になりました。それにボート部は、理不尽な、いわゆる体育会の上下関係はなく、下級生でも実力があれば評価されました。そんな体質が自分に合っていました。

BHM編集部:ボート部の4年間で、身体だけでなく、競技への考え方も成長できたことと思います。オリンピックを目指すようになったのは大学時代ですか?

笠谷:大学2年の全日本選手権で3位(舵手付きフォア)になり、だんだん結果を出せるようになり、オリンピックを意識するようになりました。高校時代の自分は帰宅部で勉強ばかりやっていたんです。「オリンピックなんてとても…」と思っていましたが、ボート部に入って結果が出てくると「そういう道もあるんだな」と思えるようになりました。

BHM編集部:大学卒業後は、実業団に入ってオリンピックを目指していたんですか?

笠谷:会社勤めしながら、自分でボートチームを作って独自に活動していました。「クリムゾン・ギャング」というチーム名で仲間が5人。費用は大学の先輩に援助してもらいながらボートを購入して、オリンピックを目指していました。

BHM編集部:自分でチームを作るということは、費用の面でも大変そうに思えますが、笠谷さんのように、自分でチームを作って五輪を目指すというスタイルは、ボートの世界ではよくあること?

笠谷:いえ、少ないですね。それでも、ボートは熱くなれるスポーツだったし、続けていきたいと思っています。ボートの仲間は、自分が世界で戦いたい、ということを知っているので、アメリカズカップ挑戦を応援してくれています。

◎リオ五輪470級日本代表選考敗退からアメリカズカップへ

BHM編集部:吉田さんは、唐津西高、法政大を経て、川田貴章(北京)、原田龍之介(ロンドン)、松永鉄也(リオ)選手と組んで五輪に挑戦してきました。まず、吉田さんに聞きたいのは、昨年7月のリオ五輪最終選考後、どんなことを考えたのか、ということです。

吉田:デンマーク(リオ五輪最終選考)で敗れた後、1カ月ぐらい家から出られませんでした。ショックだったし、これからのことを考えていたし、あまり人に会いたくなかった。毎日モンモンとしていましたね。でも、もう一度、セーリングで、東京五輪に挑戦しようという気持ちがわいてきたんです。

BHM編集部:サポートやコーチではなく、選手としてオリンピックに挑戦したかった?

吉田:そうですね。チームや種目は決められないけれど、470級か49er級を想定して、どんな船に乗るにしても身体づくりは必要になるので、いつでも乗れるようにトレーニングをはじめました。アメリカズカップのクルー選考の話は知っていて、当然興味もありました。でも、470キャンペーンが終わって体重が70kgしかなかったので、応募資格にぜんぜん足りなかった。

BHM編集部:ソフトバンク・チームジャパン・クルー選考の応募資格は、当初体重85キロから80キロに変更されましたね。あたらしいことに挑戦したいという気持ちがあったんですか?

吉田:そうですね。選択肢を減らすことは視野を狭くしてしまいます。選択肢を減らさない部分でできることはなんだろうと考えた時、自分にはフィジカルでした。身体が大きくなれば、その後に絞ればいいし、競技と競技の間にできることは、「身体づくり」だと考えました。そう考えてトレーニングしていました。

BHM編集部:それでも80キロにあげるのは、大変だったでしょう?

吉田:体重を急に増やすと足を痛めるので、徐々に筋力を増やしていきました。クルー選考本番までに5キロぐらい増量。ちょっと足りなかったけれど、そのへんは、まあ…(笑)

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470クルーからアメリカズカップへ挑戦する吉田雄悟。2009年にはバルクヘッドマガジン・セーラーオブザイヤーにも輝きました。写真は2014年サンタンデールISAFセーリングワールド(6位)より。photo by Junichi Hirai

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3日間のクルー選考では陸上と海上にわかれてテストしました。選考に合格した笠谷、吉田両選手は1月後半にバミューダへ渡り、チームに合流します。photo by Junichi Hirai

◎吉田雄悟選手から日本の若いセーラーへメッセージ

BHM編集部:吉田さんは、高校でヨットをはじめ、大学、そして世界で戦ってきました。オリンピックにも出場して、アメリカズカップへ挑戦するという、日本人セーラーのなかでは極めて数少ない(誰でも行けるわけではない)道を進むことになります。いつも、どんな考え方でセーリングに取り組んでいるんですか?

吉田:自分のなかでは、行き着く最後はヨットなんだ、という考えがあります。これが根っこの部分で、足りないことはチャレンジしていこうと思っています。その流れでやってきているので、アメリカズカップの挑戦も(ヨットを知るための)階段を登っている途中だと考えています。

BHM編集部:アメリカズカップと並行しながら、オリンピック挑戦もありえますか?

吉田:いや、それは現実的にむずかしそうです。ソフトバンク・チームジャパンでは、もっと身体を大きく作り上げていくことになるし、そうなると乗れる五輪艇種は限られてしまいます。アメリカズカップに集中することを考えています。

BHM編集部:この10年ぐらい海外遠征が活動の中心でしたが、日本のセーリングについて考えることはありますか? バルクヘッドマガジンは若い読者も多いので、ユース世代に感じることや、セーリングのアドバイスをください。

吉田:自分の考えは、けっこう古いタイプだと思います。ユース(学生)までは、効率良い練習方法とか、そういったことは考えず、地道にやったほうがいい。がむしゃらに努力する時期が必要だと思っています。

BHM編集部:努力とは、具体的にどんなことですか?

吉田:努力=練習量です。学生時代は、量が選手を育てます。ここで、とにかく努力をしておかないと上のステージに進めません。世界で戦う舞台に立ったら、今度は自分の考え方を成長させていかないといけなくなる。逆に、自分の考えがしっかり定まっていないと勝てません。海では、だれも正しい答えを教えてくれませんから。

BHM編集部:なるほど。それは、笠谷さんの年間340日トレーニング×4年にも通じますね。きょうは、どうもありがとうございました。ふたりの活躍を楽しみにしています。

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